2011年3月13日日曜日

地震








(From: NewYork Times)





突然の地震。

まさかというか、必然というのか。
予想されていたとはいうものの、起こってみればやはり人間どうすることも出来ないのが自然災害。
僕の実家であり、家族の住む茨城県東海村にも、地震と津波が来たようで、家族とは未だにまともに連絡が取れません。
原子力発電所があることもあって、揺れ以外の災害も心配でなりません。
元来地元愛や郷土愛に乏しい僕ですが、やはり心配です。
TVに地元の様子が映ったときには、言葉を失うと共に、言いようのない喪失感に駆られました。

こういう事でも無ければ、家族や周りの人間の大切さが分からなかった、そんな自分を恥じるような気持ちで居ます。

TwitterやFacebookでは世界各国からの応援メッセージや、救援速報。TVはしばらく地震関連の特番ばかりですね。

本当に自分に出来ること。
それは、電気の節約なのだろうか。
水や食料を買い貯めすることなのだろうか。
祈りを捧げることなのでしょうか。

生きている人間が、しっかりと地面を踏みしめて普通に生活すること。
今や何千人もの人間が死に、行方も分からないような幾人もの人々がいる中で、普通であること、いつも通りであることがどれほど重要なことか。どれほど責任のあることか。

それを考えると、自分に出来る事を変わらずにこなし、普通に生活することが社会を支える事にはならないのでしょうか。

今やるべき事、今できることをしっかりと行う。
取り乱し、騒ぎ立てるのではなく、しっかりと生きていく。
つらい目に遭った人間に、つらいですねと言うことが、どれほど悲惨なことか。

何もできないことをなげくのではなく、今やるべきことを認識することが大切だと思います。


余震は止みませんね。

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