先程も書いた、今敏氏の遺言を読んでいました。
こんなに立て続けに今氏のことを書くと、なんだか今敏の熱狂的ファンだったかのようですが、そういうわけではありません。
訃報というニュースに盛り上がるようなミーハーでもないです。
加えて言うならば、誰かが死んでしまうことで簡単に涙を流すのはイヤですし、人の死でお涙頂戴するだけような映画や小説(最近多すぎる気がしますが…)は大嫌いです。
“遺言読んでどうこう”なんて、何も知らない僕が書くのは故人に失礼だとも思います。
ですが、今氏の遺言は、なにか心の底を抉られるような感覚とでもいうのでしょうか。どこか死というよりも幸福感や人生観みたいなものを感じさせ、もちろん近親者向けに書いた文章ではあるものの、残されたものとして、何かを造ることに対してもっと真摯に向き合わなければならないなと思わせました。
クライアントがどうだとか、評価がどうだとか、イメージ、人望、そんなものにまとわりつかれ、苦しくなって動けなくなって。そんなことのために何か大切なものを見失ってやしないかとハッとさせられました。
僕からしたら、今敏クラスのクリエイターは雲の上の上、むしろ天空をかっ裂いて宇宙に飛び出してしまうような差。自分なんてクリエイターでもなんでもない人間だということを実感できるような差です。
ですが、これから造り手として生きていこうと思う身として、今氏のような先人がいたこの国で、次を創っていく意識みたいなものはやはりもつべきだなと感じました。志した責任というか、築かれたものから得るものを無駄にしない決意というか。
夢中になり、自分の生きる世界で幸せになる努力は、やはり必死。
それこそが生きることなのだと、今思います。
“自分の生きた世界を愛している。そう思えることそのものが幸せだ。”という今敏氏の言葉に、僕はなんだか涙が出そうになりました。
もっと、幸せになれるよう生きようと。
そう強く感じました。
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