ご無沙汰ぶりでございます。
数日前に更新したはずのブログが、できてなくてうっかり八の助でした。
ここ最近は大学の制作に追われ、その他諸々の用事をこなせず、息苦しい展開となっておりました、Hediです。
今夜は少し気持ちに余裕があるので、ちゃんと更新してみようと思います。
今回は少し、それっぽい内容なのですが、デザインについて。
デザインとは何なのか。
洗練させることとはどうすることなのか。
Photoページに載せた、スピーカーを作っていたとき、気付いたことがあったので、紹介してみることにします。
よく、「美大に行っている。」と言うと、
「芸術家になるんだね。」と言う人がいます。
芸術は爆発だとか、魂の現れだとか…。
でも、ここにきて今更、
「デザインはアートとは違って社会のニーズに応えるものです。」
などと、高尚なことを言うつもりもありません。
確かに、市場に出回る製品デザイン、広告、CMなど、店舗内装含め空間デザインまで、
どうしても“人”という対象を持たざるを得ないのがデザインだということは、もう僕らにとっては既に明白なことです。
ですが今回、僕は制作を通して、“社会という枠組みをどう捉えるか”ということについて、改めて考えることができました。
まず、表現するということは、
社会と関わろうとするクリエイターにとってどういうことなのか。
本当のところ僕にはまだよく分かりませんが、
ただ日々生活しいて、歩いて出かけて寝そべって座って、
そんなとき世の中には、沢山の綺麗なものや素敵なものが無作為に転がっていたりします。
それらをもし“アイデア”と呼ばせてもらえるならば、
それがどうして綺麗なのか。どう素敵なのか。
そういったことを人に伝えられれば、
きっと表現できたということになるかもしれませんね。
しかし、学術的に正しい美の形があるわけではないし、
人が理論的に決められるほど、美しいものは簡素なものではありません。
正直、毎回何かを作る度、僕は不安で不安で仕方ありません。
自分の作ったものが、本当に美しい有り様をしていると思っているわけではないからです。
ただ、
頭の上の方に、
何となくぼんやりと、自分の世界があって、
自分の今住んでいる世界から拾ってきた素敵なものごとを、
自分の世界に投げ入れておくことにはしています。
僕はその自分の世界と現世を往来することで、自分以外の人に自分の世界を紹介しているといったとこでしょうか。
いわば、不動産物件紹介業者みたいなものですね。
ですが、
その世界にみんながみんな“住みたい”と言ってくれるわけではない。
そういったリスクとも共存しなければなりませんでした。
その事実を受け止めて、自分の目を通してしっかり社会と向き合っていく。
つまりそれが、商業デザイナーで在り続けたくない、
クリエイターとして生きていきたい。
そう思っている、僕のスタンスです。
では、そのスタンスが伴うリスクを、僕は今までどう軽減しようとしていたか。
僕は、社会という箱に上手くおさまらなかった部分を、取り除いていくことで、
そのリスクを軽減していようとしていました。
それを不必要だとして切り取ることで、不必要だった部分が、何故最初に存在していたのかなど、毛頭考えはしなかったということなのです。
それがデザインだと。
洗練し整理することだと、そう思っていたのです。
社会不適合物ではないものを作るために、それがベストな策だと思っていたからです。
ですが今回の制作で、
「10年後、必要とされているデザインのニーズは今と違っているはずだ。」
という教授の言葉が、
僕に、アイデアを社会の中で具現化する際の、違った手法を気付かせてくれました。
上の図で示しているように、形が与えられる以前のアイデアを世に出すとき、
社会はまるで箱のような役割をもって存在しています。
その箱に入れるときに、はみ出てしまう部分を“アイデアのノイズ”とし、
それをスーツケースに服を押し込むように圧縮していく。
そうすることによって、よりストレートにアイデアが具現化されていく。
アイデアの“洗練”は切り刻んで磨くことではなく、
圧縮して高密度にしていくということだったのです。
社会という枠はこれから先もどんどん形を変えていきます。
大きくなるかもしれませんし、幅が狭くなっていくこともあるでしょう。
つまり、そういった枠組みの変化に、切り取っていく“マイナス”の考え方だけでは対応しきれなくなる時代がもうすぐそこにきているのです。
箱に入れる前に、一度大きく膨らませて爆発しそうなくらいに光らせる。
それを圧縮して詰め込んでいくという二段階作業が、これから必要とされるとらえ方のような気がします。
自分の世界を覗いてみたいという人が、より沢山あらわれるように、
ただのリスク処理として終わらせない、創作。
今の、取り除いていくことでまとめるデザインが本当にエコなのか。
本当に人の為としてベストな手法選択なのか。
僕らはそろそろ、しっかりと考えな直さなければならない地点に到達しているような気がします。
END.
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